観音エリア

※観音境内は、午前10時~午後4時まで参拝できます。

仁王門

観音堂正面にある門。門内に安置される左の密迹金剛、右の那羅延金剛二力士は元禄時代の作。平成9年改築の際、観音様の守り神として風神雷神二像が刻まれ門内に収められました。

観音堂

このお寺の中心である千手観音菩薩を祀ったお堂。永禄5(1562)年に北条氏康が当地に攻め入った際に焼失、その後、川越の大工一能の手により再建(室町風の作か)、これを平成11年に改築し現在に至ります。本尊は開山の祖慈覚大師円仁が一刀三礼して謹刻したと伝えられます。本尊千手観音の脇侍として毘沙門天と不動明王、お堂の両脇には左に護摩壇と共に不動明王、右の宮殿内には秘仏として魚藍観音が安置されています。

「御開帳」…観音堂のご本尊である千手千眼観世音菩薩のご神体は宮殿内に鎮座され、宮殿の前に御前立ちの千手観音像が祀られています。また、十二年に一度、午年の四月に、千手観音様の宮殿が開扉される「御開帳」の行事が執り行われます。

閻魔堂

もと元禄時代の作で昭和29年改築、平成7年に建て替え。堂内には閻魔大王、倶生神、奪衣婆像が安置され、平成の新築の際、十王、司命・司録、鬼卒等の像が加えられました。

鐘楼

平成8年、以前より大きな鐘楼を新築、梵鐘も大きなものを新たに鋳造。この梵鐘は、当時県下二番目の大きさだと聞いています。


水屋

観音堂前で手を清める手水舎。昔この場所から水が湧き付近の乾いた田んぼを潤した言い伝えから水屋の名が付きました。平成大建立の際に旧手洗石(※次項「手洗石・手水舎」)に代わり、新しい手洗石が作られました。

手洗石・手水舎

前項「水屋」に安置されていた手洗石が平成大建立の際に閻魔堂脇の一角に暫定的に移設。歴史ある手洗石を祀るため、令和に入り観音堂東側にこの手水舎を建設、令和2年に完成。

御岳神社の祠(ほこら)

平成以前は仁王門の東側に小高い築山があり、これを御嶽山に見立て、御嶽山の各所にある神社の石碑が祀られ、地元の方の信仰を集めていました。平成の大建立の際、築山があった場所には鐘楼が建てられ、築山だった土は観音堂東側の小高い庭となり、後にまたこれを御嶽山に見立てて八海山神社、三笠山神社、御岳神社、阿留麻耶天等の石碑、その奥に天照大神の石碑が配置されました。

松本稲荷社

観音様を実務的、経済的に支えるお稲荷様。江戸末期の住職堯千の代に石碑が建てられ、平成31年にお社を新築。

観音堂内の主な仏像

魚籃観音像

旧魚籃観音像が施主様の菩提寺である東光寺に移された折、水判土の地に心を残される同観音様のご意志により化身として新たに作られ観音堂内東側の宮殿に秘仏として安置。千手観音御開帳に合わせて開帳予定。

如意輪観音像

現住職の発願により人々を未来へと導く仏様として観音堂に勧請される。仏師須藤光昭氏の作。令和4年10月に完成、同29日に開眼式が行われました。毎月27日に拝観できます。

弁才天像

観音様の正面の道路拡幅の際、慈眼寺の古図面にも載っている「弁天池」が埋め立てられ、弁天様のお社が足立神社に、弁天像が当観音堂に収められました。毎月27日に拝観できます。

十二支守り本尊等の仏像

観音堂の下の階に、大黒天、延命地蔵尊(#中)、聖徳太子童子像、毘沙門天、不動明王等の仏像が祀られ、平成大建立直後に十二支守り本尊の仏像が加わりました。毎月27日に拝観できます。

総門

平成11年新築。門の形は黄檗風。伽藍配置から総門と名付けられました。この総門右手の石段を上がると閻魔堂があり、総門正面を上がっていくと山門から本堂エリアへと通じています。

延命地蔵尊(#大)

山門右前に安置される一丈三尺の地蔵尊。文政12(1829)年、住職尭千の代に、当山千手観世音建立一千年を記念して上野東叡山より寄進された大きな石像です。又、この記念として当山境内に十一代将軍家斉公の手により桜の木が植えられたと伝えられています。

山門

古くは表門と呼ばれ、本堂の建設に伴い山門と呼ばれるようになりました。現在のものは昭和56年に建立。ここまでが観音エリアです。